肉体の美 [神文学のいろは]

容貌容姿の美醜を決める要因はなにか。思いつくままに書いてみよう。


1 『独特な感性』

 その人をその人自身にしているものは感性である。感性はハートから出る。

ハートをメンタル・フローによって冒されていないことがその人自身である絶対条件である。

述べたように、ハートは眼に見える世界(正世界)に開いている機関ではなく眼に見えない世界(反世界)に開いている機関である。たとえ眼に見えるものを眼が見ていたとしても、肉眼が見ているものの背後にあるものを感じ取るのがハートである。

 
 自然の美は、主として3次元の背後にある4次元──自由空間(時空)──から発する。4次元は精霊の時空である。木の精霊、花の精霊、風の精霊、水の精霊、雲の精霊……


『大笑い雄蔵の笑ってしまえ』というブログがある。ブログの名とは裏ハラにこのブログは雄蔵氏の精霊的感性が溢れたブログである。 
雄蔵氏は青森県出身の人である。幼い時木の枝に跨っている「緑童」を友達と一緒に見た。眼の錯覚ではなく、実視したのである。

 私はいろいろな精霊を何度も見ている。眼が反世界に開いていれば見える。眼はハート機関である。

 相手の眼を見れば、その人が日頃何を見ている人であるかは一目瞭然である。地上のことしか見ていない者の眼は一様に死んでいる。ハートが死んでいるのだ。

 
 子供は大人が見えなくなったものを当り前に見ている。子供はイマジネーションと現実の世界の区別がつかないのだ、という説明がよくなされるが飛んでもない。

 子供は実体を見ているのである。

 大人のはイマジネーションだが子供のは実体である、視認である。イマジネーションは知性が発達しないと出て来ない。

 
 西洋に“詩人と英雄は大人になり損ねた者である”という諺がある。本当のことだ。
 詩人──芸術家も詩人の一種である──は子供のハートをそのまま持ち続けた者である。英雄もそうだ。英雄は神話の世界をずっと見続けて来た者である。過去は消えてはいない。反世界の中に“今”存在している。アレキサンダー大王はアキレウスを見続けて、ヨーロッパとアジアに跨る大帝国を建設した。

 
 常識はハートを殺す。アインシュタインは云った。“学校は天才の墓場である。”

 
 独自の感性は汚染されてないハートの機能そのものである。そしてハートは反世界、畢竟(ヒッキョウ)、宇宙、に通じている。ハートは「普遍」を感じ取る機関である。全ての多様性は普遍から出たヴァリュエーションである。

“全ての”と云ったが、人間の脳心がつくり出したガラクタは この中に含めていない。

 
 美しさをつくり出す最大の要素がこの“ハート機能である独自の感性”にある。
 
 
 美しさを狭く捉える必要はない。その人自身である人は皆美しい。世間的な基準に鑑(テラ)してみれば美人の範疇に含まれぬ人も、独自の感性さへ失っていなければ美しい、換言すれば魅力的である。


 初めに“ランダムに”と書いたが、私の脳のしからしむるところか、また章・節になりそうだ。「肉体の美」は第三章の表題、「独得な感性」はその第一節としておこう。

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