クラインの壷 [神文学のいろは]

ドイツの数学者フェリックス・クライン(1849~1925)が考案した「クラインの壷」は「メビウスの帯」と共に宇宙の実相を表している。

 クラインの壷の表面を辿っていくと内と外の別がないことが分る。三次元世界にはこのような構造は存在していない。たとえばクラインの壷の形をした天体はない。四次元を導入して初めてクラインの壷は存在し得る。

 我々の五感は三次元世界を捉えるための道具であり、五感だけに頼って生きていると宇宙の実相は絶対に見ることはできないし体感することもできない。三次元世界は神が仕掛けた目昏し(原文傍点)なのである。神は、世界とは目昏しであると気付き、その背後に抜きん出た者のみを祝福する。


 神の仕掛けた目昏しは物質宇宙だけではない。神の啓示もまた目昏しである。なぜなら人間の用いる言葉は三次元宇宙を映して作られているからである。

 言葉は三次元宇宙を認識し説明する道具として作られている。だから言葉を喋っているうちに人間は意識が三次元に限定されていく。

 神の啓示も同じことである。いくら(原文傍点)言葉として呈示されようと、それは人間の言葉に翻訳されている以上、目昏しにならざるを得ない。宗教的体質が強い人ほど啓示を神の(原文傍点)言葉として捉えるから、三次元を超える「神」の存在を信じる人ほど三次元に意識が限定されていくのである。皮肉というほかない。

 宗教的な体質の人は頭も心もカチカチである。

 人体は三次元構造だが一箇所だけ四次元に抜け出る所がある。松果腺である。

 松果腺は脳の最も奥まった所に位置するが、この奥の奥まで意識が深化していくと俄かに外の世界に抜け出ることができる。

 クラインの壷の内部をどんどん下っていくといきなり外の世界に抜ける。松果腺を開発しないと宇宙の実相など理解も体感もできない。

 三次元的意識だけで生きていると、ただでさへ未開発の松果腺が更にどんどん萎微していく。

 自分の脳の中にクラインの壷を作り出して初めて宇宙には精神も物質(肉体)もないことに気付く。精神性を高めることとお金を愛することは何等矛盾ではないことに気付くし精神的な愛即ち聖愛と肉体的な愛即ち性愛は同じものであることに気付く。

 ここで男子に言っておかねばならない。男根と松果腺は極めて近い関係にあるということを。男根の性力はそれを浪費しなければ松果腺に上りそれを開発する力となる。だから性力が強い若い時代が勝負である。性力が弱まった後では遅い。

 若い時の禁欲は極めて意味が大きい。若い時に性力を浪費した者が「男」になることは不可能である。

 松果腺はまず男をつくる器官である。

 クラインの壷はその先の大目標である。男でなければクラインの壷をつくることなど夢のまた夢である。

 男根が松果腺と対応しているのに対し女陽はダン中(ダンチュウ)(胸腺・ハート)と対応している。

 若い男子の禁欲が意味を持つように若い女性の禁欲も意味を持つ。若い時のプラトニック・ラブは胸腺を発達させる。
 ハートの本質は憧れである。好きになったからといって直ぐに肉体関係に入ると憧れを失う。ハートは憧れによって開発されるから早熟な肉体関係はハート開発の機会を消滅させる。

 といってもこれは原則である。稀に例外もある。肉体関係に入った後も相手の男子がなお憧れの対象のまま留まる場合である。相手が真個の「男」である場合である。
 
 松果腺がクラインの壷であると述べた。が、これは実は男の場合である。女性のクラインの壷はハートにある。

 私の周りにはクラインの壷ハートを持った女性が数多くいる。ただハートだけのクラインの壷は超感覚の壷であり、自分が感じていることを言葉で論理的に説明することができないので周りから理解されない。最終的には松果腺のクラインの壷を開発することが望まれる。但し、松果腺に壷を開発することは男の人生の時にやればよい、と言えなくもない。

 女性の身で松果腺の壷を開発するためにはつき合う相手の男が重要である。男がクラインの壷の所有者であることが最善だが、そうでなくても、少なくとも「男(侠)(オトコ) 」でなければならない。 

 松果腺と胸腺は不二一体である。
 松果腺と胸腺(ダン中)はクラインの壷の内と外の関係にある。内と思っていたら外に出ていた、外を歩いているうちにいつの間にか内を歩いていた、の関係である。

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太陽新生す [コラム]

旧5月27日、日曜日、『超人作戦1』を挙行した。この作戦のテーマの一つが【太陽のヴァージョン・アップ(新生太陽)】である。太陽は従来とは一段高い質と力のエネルギーを世界に放出しはじめた。
 
 当日、作戦を終えて戻った控え室から見た太陽の様子を十影竜と鉄つるぎ二氏が撮った。その写真をこのブログの中に発表する。

 新生太陽のパワーを浴びて頂きたい。また太陽神が少年か少女の顔で現れてくることに御注目頂きたい。 

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肉体の美 [神文学のいろは]

容貌容姿の美醜を決める要因はなにか。思いつくままに書いてみよう。


1 『独特な感性』

 その人をその人自身にしているものは感性である。感性はハートから出る。

ハートをメンタル・フローによって冒されていないことがその人自身である絶対条件である。

述べたように、ハートは眼に見える世界(正世界)に開いている機関ではなく眼に見えない世界(反世界)に開いている機関である。たとえ眼に見えるものを眼が見ていたとしても、肉眼が見ているものの背後にあるものを感じ取るのがハートである。

 
 自然の美は、主として3次元の背後にある4次元──自由空間(時空)──から発する。4次元は精霊の時空である。木の精霊、花の精霊、風の精霊、水の精霊、雲の精霊……


『大笑い雄蔵の笑ってしまえ』というブログがある。ブログの名とは裏ハラにこのブログは雄蔵氏の精霊的感性が溢れたブログである。 
雄蔵氏は青森県出身の人である。幼い時木の枝に跨っている「緑童」を友達と一緒に見た。眼の錯覚ではなく、実視したのである。

 私はいろいろな精霊を何度も見ている。眼が反世界に開いていれば見える。眼はハート機関である。

 相手の眼を見れば、その人が日頃何を見ている人であるかは一目瞭然である。地上のことしか見ていない者の眼は一様に死んでいる。ハートが死んでいるのだ。

 
 子供は大人が見えなくなったものを当り前に見ている。子供はイマジネーションと現実の世界の区別がつかないのだ、という説明がよくなされるが飛んでもない。

 子供は実体を見ているのである。

 大人のはイマジネーションだが子供のは実体である、視認である。イマジネーションは知性が発達しないと出て来ない。

 
 西洋に“詩人と英雄は大人になり損ねた者である”という諺がある。本当のことだ。
 詩人──芸術家も詩人の一種である──は子供のハートをそのまま持ち続けた者である。英雄もそうだ。英雄は神話の世界をずっと見続けて来た者である。過去は消えてはいない。反世界の中に“今”存在している。アレキサンダー大王はアキレウスを見続けて、ヨーロッパとアジアに跨る大帝国を建設した。

 
 常識はハートを殺す。アインシュタインは云った。“学校は天才の墓場である。”

 
 独自の感性は汚染されてないハートの機能そのものである。そしてハートは反世界、畢竟(ヒッキョウ)、宇宙、に通じている。ハートは「普遍」を感じ取る機関である。全ての多様性は普遍から出たヴァリュエーションである。

“全ての”と云ったが、人間の脳心がつくり出したガラクタは この中に含めていない。

 
 美しさをつくり出す最大の要素がこの“ハート機能である独自の感性”にある。
 
 
 美しさを狭く捉える必要はない。その人自身である人は皆美しい。世間的な基準に鑑(テラ)してみれば美人の範疇に含まれぬ人も、独自の感性さへ失っていなければ美しい、換言すれば魅力的である。


 初めに“ランダムに”と書いたが、私の脳のしからしむるところか、また章・節になりそうだ。「肉体の美」は第三章の表題、「独得な感性」はその第一節としておこう。

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