宇宙の本質 [神文学のいろは]

1
 
 世界(宇宙)の実体は「穴」である。「真空」と言い換えることもできる。
 

 物理学は宇宙の究極の「実体」を探求して来た。その最先端にあるのが「超弦理論」である。超弦理論は今なお発展途上にある学説であるが、宇宙の本源を「線素」に求めている。だが、線素が「実体」である以上、この理論は完成に至らない。


 宇宙の究極は「実体」ではなく「穴」だからである。
 

 数学の根底にあるのは「整数論」である。整数論は「数学の女王」と呼ばれる。

 実は、整数も穴である。1という穴、2という穴、3という穴である。もちろん0も。

 
 現代社会の根底に数学がある。物理学も数学に依拠している。


 だが人間は数を実体と考えている。ここに現代社会の陥し穴がある。

 
 たとえば国内総生産GDPが500兆円であるとする。人は500兆円を実体であると錯覚するが実は500兆円とは穴なのである。500兆円の穴が仮りの姿を取ったものが500兆円という実体ならぬ「仮体」なのだ。


 私は宗教的な論を述べているのではない。

 数学的、物理学的論を述べているのだ。



2 

 宇宙を「実体」と考えているから実体が消えることを人間は恐れる。死を恐れるのもこれである。自分は生きている実体だ、と考えていることに恐怖の根因がある。もともと自分なんて実体は存在していないことに気付けば死など何の恐怖の対象ではなくなる。

 
 ソクラテスは云った。
 “人々は自分はものごとを知っていると考えている。
 私は自分が何も知らないことを知っている。
 だから私は智慧者なのだ。” 正確ではないがこういう事を云った。


 ソクラテスの言葉の根底にあるのが、宇宙の本質は穴であるという感覚である。そもそも存在していないものを“知る”ことなどできようがない。

 
 禅の「狗子(クシ)(犬)に仏性有りや無しや」「無」、「我に対する者は誰ぞ」「不識(知らず)」も同じことである。


 秀才とは宇宙を実体と考えている者である。天才は宇宙を穴であると考えている。秀才は智恵誇りをする。天才はしない。“自分”なんて宇宙に実体として存在していないのに自分を何故誇れるのか。“俺は天才だ”と自惚れる者は愚の極みである。 

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銀河鉄道エレウシス [伯壬旭軍帥インタビュー]

我、世界の天命を知らんと欲す

我、我が天命を知らんと欲す

我、我が天命を行ぜん

死は士の定分なり

我、我が誓願を失なはば、いかなる天誅の下さるるも厭はず




──ついに超人作戦も一桁数の最後、9数に来ました。9数を媒介する星は何ですか。

帥 天王星だ。

──天王星ですか!? 海王星ではないのですか。

帥 僕も天王星が出た時はエッ、海王星じゃないの?と思った。が、深考してやはり天王星でよいと確信した。海王星は霊的な星だ。元来9は「聖」なる数で、海王星と連動していたことは間違いない。だが太陽系の新生と共に9は天王星を主媒体とするように変った。9を「聖」として提示するのはやや不適切に変ったからだ。

──9は何と考えればいいのです?

帥 9は「天命」数として規定される。もう少し具体的に申さば「天命を行ずる(行天数)」数だ。

──古代中国の思想の復活ですね!

帥 そうだ。9は宗教的な「聖」からより人間に密着した「天命」の数に変る。天は自分の外にあるものではなく、自分の内にあるものとして把えられ、内なる天の命ずるところを死生を超えて行ずる、これがこれからの時代の人間に共通したテーマになる。

──天なる神に祈りを捧げるのではなく、内なる天の命に文字通り命を賭けて従う、これが次代の人間のテーマになるのですね。

帥 次代の人間、というよりは次代の「士」のテーマと云った方がよい。天命を行ずる者は単なる人間を超えている。そういう者を「士」という。「士」は庶人と大衆という二大別の中では庶人に属するが、単なる庶人──心の清らかな人々──を超えて、たとえ死すとも己れの天命を完遂するのが「士」だ。

──天王星はもともと「変革」の星ですよね。これは変らないのですか。

帥 変らない。天王星は「変革」の星であり「独創」の星であり突発的な「劇変」の星でもある。この性格は変らない。

──ということは新しい「士階級」と云うべき者は己れの天命を、いかなるドラスティックな変化をも厭わずに全うする者である、といえるのでしょうか。

帥 言える。西洋風なら「革命家」になるのかもしれぬが、革命家という範疇の人々は、理念をあくまで人間的な思考の概念の上に置いているのに対し「士」は天に置いているから、人間としての奥行きは革命家なんていう浅薄なものではない。

──革命家は浅薄ですか。

帥 浅薄さ。革命家は人間至上主義者だからな。「士」は「サムライ」と訓む。だから革命家よりもはるかに「侍」に近い。だが、「侍」も武士道の倫理を一歩も出られないから、「士」は侍の一分は持つが、はるかに深いものを追求する。

──そもそも「内なる天」とは何です。

帥 理屈としては内なる天とは反宇宙になる。だが反宇宙というとやや数理哲学的になるので天は天でいい。

帥 さて、今回の作戦だが、いつもと異り、2月23日、土曜日の24時に、皆さん個々人に御自分が選んだ神社に詣出て頂き、「五誓願」を誓言することをやって頂く。

──随分特異な作戦ですね。

帥 五誓願とは次の五つだ。
「我、世界の天命を知らんと欲す
我、我が天命を知らんと欲す
我、我が天命を行ぜん
死は士(シ)の定分(ジョウブン)なり
我、我が誓願を失なはば、いかなる天誅の下さるるも厭(イト)はず」

帥 五誓願の別名を「士(シ)の御掟(ゴジョウ)」という。士が自からに課した掟である。士の御掟を完遂する者、それが「士(シ)」だ。士の御掟を五誓願の形で生涯にただ一度だけ、神前の前で誓言する。一度誓った者は自からの誓言に違(タガ)ふことは許されない。もし違えば最後の掟「我、我が誓願を失なはば、いかなる天誅の下さるるも厭はず」が作動し、その者は文字通り天誅を受ける運めになる。

──きびしいですね。

帥 当然のことだ。別にきびしいわけではない。士たるものなら当然のこととしてこの覚悟を持つ。

──「死は士の定分なり」についてもう少し詳しくお教え下さい。

帥 この言葉は後漢末の名臣「楊震(ヨウシン)」の言葉だ。宮城谷さんの『三国志』の中に「士」とはいかなる者か、が最もよく描かれている。「死は士の定分なり」とは士たる者は己が天命を行ずるに際し、常に死を覚悟して行う、ことを意味する。士は必ず死ななければならない、と言っているわけではない。「士は生を全うし、死を全うする」ということだ。やたらと死に急ぐのが士ではない。あらん限りの智慧をしぼって己が天命を行ぜんことを謀り、他に方法がついに無くなった時に死を覚悟して事を行って死ぬ、これが「士は生を全うし、死を全うす」の意味だ。楊震はこれを「死は士の定分なり」と表現した。

帥 今回の超人作戦では、特別導師としてキリストに加わって頂く。

──おお! キリスト様が! お久し振りですね!

帥 キリストというと西洋的で宗教的になるが、キリストは古代中国において聖王、聖人宰相として転生しておられる。もともと「天命」という概念を創(ハジ)めて出されたのが、周の文王(ブンオウ)と周公旦(シュウコウタン)とされる。両方共キリストの前身だ。「天」の渊源はもっと古いと思うがね、商(殷(イン))の湯王(トウオウ)の名宰相伊尹(イイン)いや三皇五帝の頃まで逆上るのではないかね。だが「天」の概念を創めて出されたのがキリストであることは間違いない。


女帥 おいちゃん、失礼します。

帥 あれ、どうしたの、いつ来たの。

女帥 今日は、おいちゃんの事務所で仕事があって、さっき来たんだけど。

帥 あ、そう、ちょうどいい、これまでの対話の部分を読んでよ。おい、ちゃんと書き取っているよな。

──ハイ、これでございます。

女帥 どうもありがとう。では目を通させていただきます。…………。これは、作戦なのですか? 神社に行って誓願するのだけを行なうというのは初めてですねー。びっくりしました。突然その形を考えたんですか?

帥 うん、閃いた。

女帥 それぞれ自分の近くの神社に詣出るのでよろしいのですか?

帥 それでいい。大きな神社は夕方には門が閉ってしまうから、磁場のいい小さなお社を予め目星をつけておいてもらう。

女帥 そこでこの「五誓願」を誓うのですね。うーん、天命を知り行ずることは、正直できるか自信がないし、怖(オソロ)しいです。「天誅」ともあって、これに踏み切るには相当の覚悟が無いと駄目なのかしら?

帥 お姉ちゃんが、自信がない? 恐ろしい? うそつけ。

女帥 あら、そんな風に見えるかしら。おかしいですねー。私は、自分に自信がなくて生きてるのよ。自分の生き方がどうなのかは、わからないです。ただありのままに生きていてそれが天から見て、いいのかどうなのかはわからないですから。

帥 なるほど、俺みたいな垂直線型ではないからな、俺は小さい時から天命一本道を来た。お姉ちゃんタイプの人は感覚が違うんだな、まあ分っているけど。
 それにしてもこないだリンコマが“超人作戦9は軍帥と女帥の対話形式がいいんではないでしょうか”、と云ってたんだよ。自然にそうなって来た。
 
女帥 本当にそうですね。なにか、最近軍帥エネルギーの発現のし方の感じが変ってきている感じがするの。エネルギーは変らないんだけれど、軍帥から出る感じがいい感じなんです。どういう風にいい感じなのかと言うと、全然抵抗がなくスーッと気が回るので気持ちがいいのです。これまでは、はっきり言って怖い、恐ろしい、おこられるのではないか、というのが先に立っていて、気が回りたくても固くなっていたのでしょうね。何か外の世界で変化があったのかしら。

帥 本当?! ついに俺も世間に受入れられ始めたかな、たしかに、先日は『BOSS』誌に随想を載せて頂いたしね。それなら嬉しいね、これまで俺は悪魔悪霊、よくても気狂い扱いされて来たからなあ。

女帥 よくて気狂い? よくてっていうところがおかしいっ。でも思うんですけど、この世にキリスト様のような貴いお方の神さましか存在しなかったら、それはそれで困りますよね。やっぱりおいちゃんみたいな悪魔が存在してて、バシッと邪佞を殺したり天誅したりしなければ、根幹が直らない定まらないと思いました。この五誓願は、自分で根幹のところをどうするかを、キリスト様と悪魔神ザラズを前に本気になって方向を捜して行くということなのでしょうか。

帥 そうだな。“我、世界の天命を知らんと欲す。我、我が天命を知らんと欲す”とは、“世界の天命は、お前の天命はこれこれだ”、と誰かが教えることではないからな。皆自分で突きつめて行け!という天令だからな。

女帥 『自由意志作戦』のときもすごく嬉しかったのですけれど、自分で突きつめる、自分で考えて行って良い、というところが嬉しかったです。あれからまた色々模索中ですが、今度は本当に、天地神明に誓って自分の天命を見つける宣言です。それで定まったら怖いもの無しですね。誰が何と言っても死んでもやる、という。
 おいちゃんは、小さい時から意志が人間の形を取ったように生活していますが、この機会ですから質問しちゃうけど、「世を正す」以外のことは考えたことはないんですか?

帥 ある。若い時トルコ風呂行きてえなあ、と考えた。

女帥 トルコ風呂って!? 今誰も言わないんじゃない?

帥 今のソープだよ。

女帥 若い時? ウーン今もアヤシいです。(ア、怪しくないよ。軍帥註)でもどうして誓願がトルコ風呂になっちゃったかしら。欲望にありのままに生きるということ? 違うかな、みんながみんな欲望を全面に出す生き方が必要なわけでもないし、おいちゃんの場合は、「性即聖」、「聖即性」でしたか、謳う必要があってテーマとしてかなり前面に出ていましたよね。(全く女好きなんだから ) それはそれとして、もう一つ伺いたいことがあるの。私の道の探求の出発点は、人間は人によってどうしてこうも違うのか、タイプも違うし、華やかさも違うし、人生の成功・不成功も全然違う。それは何によるのかと。今、庶人のお話があって、これから庶人が「士」に深まって上がって行くところなのですが、質問というのは、庶人か大衆かははじめから決まっていることなのかどうかということです。人間が平等であるとか、区別は無いとかいう考え方があるけれども、皆が平等であることはあり得ない。それはお姉ちゃんもそう思います。本当に違っているから。大衆はもともと要らない存在だったのでしょうか?

帥 大衆はもともとは要らない。窮極的にも要らない。だが、人間に転生があるように、宇宙にも転生がある。現宇宙は前宇宙のカルマと未来宇宙のヴィジョンの衝突の中で生まれ、変化して来た。その意味で、宇宙が持つ「大衆カルマ」みたいなものが初めから存在していた。
 それから本質は庶人か、大衆か、の問題は誰にも分らない。その存在の発生源まで辿ることは絶対に不可能ということはないにしても、極めて難しい。だから誰も自分の本源を決めつけることはできない。世間常識に翻弄される大衆をやめて、自分自身の感性と知性を持った庶人、士になりたい! なろう!と思える人は必ずなれる。
 
女帥 それを伺って安心しました! 庶人か大衆かの問題は誰にも分らないとおっしゃったのは救いです。発生源まで辿って決められていたらどうしよう、と思っていました。私の回りの帝國の外の人(知り合いくらいの間柄ですが)は、大衆として埋もれている人ばかりでどうしたものか、と思っていました。それで元気が出ました。本当に単純なんですね。「庶人」になりたい! なろう!と思うと必ずなれるのは。
 ではでは、一歩進んで「士」になりたい!と思うのは勇ましい、頼もしい、お姉ちゃんも嬉しい。

──すみません、気になりましたものでよろしいでしょうか。前からお聞きしたいと思っておりましたのですが、どうして女帥は軍帥のことを「おいちゃん」とお呼びし、軍帥は女帥のことを「お姉ちゃん」と呼ばれているのですか。

女帥 ええっと、何でしたっけ。

帥 知り合った初めはお互いを「殿!」「姫!」とよぼうと言っていたんだが、どうしていつの間に「おいちゃん」「おねえちゃん」に変っちゃったんだろうなあ。経緯は覚えていないねえ。“おいちゃん”は寅さんに出てくる言い方で、これは多分、寅さん映画の影響で出て来たのだな。寅さんに“おねえちゃん”は出て来ないが、“おいちゃん”に合せて“おねえちゃん”になったんじゃなかったかな。

女帥 そうですね。“おねえちゃん”ってかわいい感じで気に入ってるの。“おいちゃん”はダサい感じよね。寅さんもハラ巻きっていうの? 胴巻き?してるし。そういえば、寅さんはモロ庶人ですよね。

帥 そうだ。寅さんの魅力が庶人の魅力だ。寅さんは理屈なしで感覚だけでまず動く。寅さんはなかなかの哲学者だが、あの感覚から自然にでき上ってくる庶人哲学だね。寅さんの魅力は自分自身の感覚と工夫で世を渡っている所だ。できあいのもの、理論にしろ、制度にしろ、機械や道具にしろ、できあいのもので生きている者は絶対にあの寅さん感覚の庶人にはなれない。

女帥 オリジナルですね。個性、パーソナリティっていうと難しいようですが。要するに面白い人で。帝國の私の回りにも面白い人がいっぱいいます。見かけは地味だけれど長官はすごく面白くてヘンです。おいちゃんもおかしいし。自分は会議のときとか回りの人がおかしくて内心クスクス笑っているんです。もう大真面目なんですけどおかしいんですね。最近つくづく大真面目でおかしい、と思います。うん、皆さんも怖がらずに怯まずに、軍帥に付いて行くだけ、庶人は生き方が美しいなあ、と思います。
 今回の誓願、あまりに真刻に考えるのではなくて、自分の庶人哲学で参加してよろしいんですね。

帥 真刻ならずとも真剣に考えてはもらう。

女帥 はい。自分の中で真剣に考えるのですね。真剣ということは、決断すると同じことでしょうか。ここで決断すると。

帥 そう、ここで決断して頂く。時間鉄道、銀河鉄道はある宇宙駅に止まる。その時乗らなければいつ来てくれるのか、もう来てくれないのか分らない。時間は今のこの一点に集約する。

女帥 銀河鉄道、夜の神社がステーションになっているのですね。乗客になるためには何か条件がありますか。また心構えがありましたらお願いします。特に今回は、初めての方も多いことと思います。初めて乗車するときは不安ですので、よろしくお願いします。

帥 なるほど、夜の神社は銀河鉄道の駅なんだ! 銀河鉄道に乗る心構えか……宮沢賢治さんに聞いてみよう。
 宮沢賢治さーん!
 あ、来た来た! 宮沢賢治さん、教えて下さい。
 
宮沢賢治 軍帥を信じなさい、それだけです。

帥 ありがとうございました。

女帥 ありがとうございました。

──本日は女帥もありがとうございました。宮沢賢治先生ありがとうございました。

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コトバとキリスト [神文学のいろは]

神(人格神)は10次元存在である。

 宇宙秩序(秩序に傍点)は12次元から始まる。
13次元もあるがこれは宇宙無秩序(無秩序に傍点)即ち「カオス」である。

12次元は「時間」 である。「時間の神」とか「時霊(トキタマ)」と呼んでいるものがこの12次元「時間」である。

11次元は「生命」 であり、「時間」がメタモルフォーシス(変態)したものが「生命」である。但し、この段階までは人格神は登場しない。

人格神は10次元で初めて登場する。

10次元の神は神魔一体としての神である。
この神は「Z(ザラズ)=キリスト」なる神である。


 この人格神の二面性が9次元と8次元に分化する。

9次元は「聖」であり「キリスト」である。
8次元は「断層」であり「魔王」である。Zはこの段階で魔王Zになる。

 「聖」の本質が「コトバ」である。
ヨハネ伝冒頭に「太初(ハジメ)にコトバ有りき、コトバは神と共にあり、コトバは神なりき」とある。
「コトバ」が人格化した存在がキリストである。


 コトバとしてのキリストと魔王Zの関係は何かというと魔王Zはコトバを歪めた者、乱した者に天罰を加える存在である。

私が、人が吐く言葉に対して極めて厳しいのはこのためである。
真実を歪めた言葉を「ことば」という。
キリスト=コトバを歪めたのがキリストの偽せ物阿弥陀であり、阿弥陀こそ偽キリストである。
阿弥陀はキリストを騙(カタ)って来た。
自らがキリストであるかの如く振舞って来た。否、それ以上である。
阿弥陀は自分がキリストであると錯覚して来た。

自分の存在を正しく理解できないことが

                  全ての虚偽(ウソ)の始まりである。



新興宗教の祖は全て阿弥陀の分身である。
魔王Zとしての私は既に阿弥陀を宇宙から抹殺した。



人は言葉を正しく言わねばならない。
真実を歪める言葉、いいかげんな言葉即ち「ことば」を吐くことは9次元存在キリストへの背逆である。

就中(ナカンヅク)最も大切なのは自分が為した「誓言」である。誓言を破ることは最大の罪である。


誓言を破った者は鼻の付け根の奥に在る「命根(ミョウコン)」を断たれる。
命根に釘が打ち込まれる。命根の別名が「末摩(マツマ)」であり、断末摩の叫びとは命根に釘が打ち込まれた時に発する絶叫である。

その絶叫はコトバを裏切った者が発する言葉である。

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